ん〜、宗教

2001年10月9日
8日にお通夜にいってきました。
バイトだったのですが1時間抜けさせていただきました。
着いたら少しはやくってまだはじまっていなかったです。
あまり好きではないタメの従姉妹に会いました。
今は水泳の先生をしているとのこと。
まあ、がんばってくれ。(なげやり)
弔問がはじまってちょっと唸った。
お坊さんがいなくって献花だけ。
それはいい。
だけど念珠もった御夫人に対して
「無宗教なので御遠慮ください」
だって。
あんたホントに葬儀関係者なの!?
って怒鳴ってやりたかったが場所が場所なだけに控えた。
親戚の葬儀なだけにちょっと
「無宗教」といって葬儀をしているのが恥ずかしかった。
そもそも無宗教ってなに?
って感じだ。
ホントに無宗教なら葬式なんてしないでしょう?
宗教が無いなら弔問客がキリスト式で弔っても仏教式でもイスラム式でもなんでも気持ちがこもっていればいいんじゃないの?
無って言葉はこのような所ではあまり使わない方がいい単語だと私は思う。
だって
ない、とか欠けている、とか存在しない、って意味でしょ?
不謹慎だとおもうんだけどなあ。
単に宗派に属さないってことだったら
自然宗教という言葉がある。
意味は人間の宗教的性質としての理性や感情などにもとづく宗教って感じだと思うけどこれでしょう?
死に対して献花とかしてるんだし・・・
せっかく畏敬の念を込めて持ってきた念珠をしまわせるってはっきりいって最悪だと思う。
わざわざ宗派の区別を取ったんでしょ?
なにやってんの?って感じです。
そもそも宗教って死とか生きるってことを考えることから始っているものである。考えて生きることを宿命として背負った我々人間は必ずしも宗教感を持っていなければならない。
それが合った宗派があればそこに属すればいいしどこにも合わなければ自然宗教として自分の考えを持ち続ければいいのである。
しかし、そこに無宗教というものは存在しない。
(うけを狙っている訳では無いぞ)
みんな死について自分の生き方について考えているのだから。
ただ、宗教って言葉が日本人には変に影響しているのかもしれない。
中身とは関係なく宗教という言葉が一人歩きしてイメージを作ってしまっている。
だから無宗教なんて変な言葉を堂々と使ってしまうのかもしれない。
英語の単語辞典を見てみるとreligionは宗教という意味と信仰とか信心という意味で載っている。
また参考語として載っているfaithは信頼とか信用、そして信仰という意味だし、beliefは信じていること、信じること、信念といった意味である。
こうやってみてみると「宗教」は日本的な言い方であってアメリカなどでは「信仰」という言葉で言い表わしているのでは?って考えが浮かんでくる。
そうするとI don’t believe in religion. ってすっとんきょうな話だよねえ。
「あなた自分の信念がないってどういうこと?」
って笑われてしまうかも・・・
もちろんreligionには宗派という意味もあるからあっているといえばあっているのですが・・・
なんか訳わかんないことになってしまったがとにかくもっと日本語を考えて使いましょう。

もっと宗教について理解しましょう。

これも違うかも・・・
とにかく宗教って難しいですねえ。

ん〜〜長々私はなにを語っていたんだ〜〜〜!
結論がなくってすみません。
はあ、日記には真面目なこと書かないつもりだったのに書いたから変になってしまった(言い訳)

がらっとかわって今日はみゆき嬢とお茶したの〜〜〜(強引)
苦しいからここまでにしておきます。

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